2009年10月29日木曜日

SQUET11月号に掲載されました!


以前のブログで表記の取材を受けさせて頂いたことを紹介しましたが、この度11月号に掲載され、手元に届きました。
改めてご紹介させて頂きますと、このSQUET(スケット)という雑誌は三菱東京UFJ銀行さんのビジネススクエア会員さん向け月刊誌で、23,000部発行されているとの事。
その中の『企業最前線』というコーナーにて、会社設立の経緯や事業概要、会社の強みなどが紹介されました。日本の製造業のあるべき姿を目指して駆け抜けてきた30年の経緯や、「強力なネットワークを活用し、顧客満足度の高い部品を届ける」という当社の強みなどを3ページにわたって掲載されています。
実際の記事についてはこちらをクリックして頂ければ開けますので、ご覧頂ければ幸いです。
このような機会を与えて頂けたことに感謝して、改めて頑張っていこうと決意しました。

2009年10月19日月曜日

芸術家・森下勲氏とのコラボ①


先日、近くにお住まいの芸術家・森下勲さんが来社され、アルミの作品について機械加工での手伝いをして欲しいとの事。
話しを聞かせてもらえば、重さ70Kgからある大きな作品に、穴あけ加工を十数箇所してほしいとの事。
自宅兼アトリエをお訪ねして打ち合わせ、早速作品を工場に運び込む。
当然、形状については普段取り扱う機械部品とは異なり、大変異形なものである。
あの手この手で苦労しながらも、森下さんのご要望のものに仕上げられるよう努める。

実は、小生は『芸術』の世界に大変興味がある。
最近では、あまりそういった世界に触れられていなかっただけに、今回のお話を通じて『芸術』に絡める事が出来て、非常に楽しかった。せっかくのご縁でもあり、今後も何かとお付き合いさせて頂ければと思う。

森下さんとのコラボについては、次回以降にまた続く。

2009年10月14日水曜日

祖父母の腕時計

休日に祖父母のお墓参りの為、岡山県の児島に行って来た。
香川県の出身であった祖父のために、瀬戸内海が一望でき、もちろん四国・香川も見られる場所にそのお墓はある。
祖父は日弁連の副会長まで務めた、岡山でも有数の弁護士であった。
非常に仕事熱心で、79歳で亡くなるまで生涯現役で仕事に没頭していた。
ありとあらゆる問題に真っ向から立ち向かっていた。
その祖父が生前身につけていた腕時計を、その後は祖母が大事に身につけていた。
その祖母も昨年祖父のもとに旅立ってしまった・・・。
こうして残された腕時計を父が譲り受け、そして小生が譲り受けた。
その時計を身につけて、改めて児島の地をめぐってみた。
大変な苦労で子供7人を育て、大きな志を持たれての仕事に対する熱烈な姿勢。
ゆかりの地を歩きながら、改めて祖父母に思いを馳せたのであった。

2009年10月8日木曜日

チンギスハンの最期の地は?


先日ある記事に、チンギスハンの陵墓の所在についてふれられていた。
先月の出張で内モンゴルに行った際に、実はチンギスハンの記念館にも訪れていたのだが、 正式な陵墓については諸説あるものの確かではないとの事だった。
実際に世界史上の大きな謎となっているとの事。
それを、チンギスハンの34代末裔とされるモンゴル族女性が、陵墓の場所は実は先祖代々伝承され、4年に1度は身内だけでお参りを続けてきたという。
現場は山間部にある洞窟で、末裔は、中に当時の戦利品や書籍など多数の財宝が埋蔵され、洞窟内にある複数の穴の一つにチンギスハンがミイラ化した状態で保存されているとの事。
定説ではチンギスハンは、西夏攻略後の1227年、六盤山で死亡されたとする。
末裔によるとチンギスハンは西夏ではなくチベットを攻め、思芧(雲南省)で死亡、遺体を中心都市のカラコルム(モンゴル)ヘ運ぶ途中で山中に埋葬したという。
たまたま先月訪れた地と関連する事が記事になっていた為、余計に興味深く、すごくミステリーだと思った。

2009年10月5日月曜日

カネミツに新しく立形CNC旋盤を導入!


世の中不景気の真っ只中ではありますが、大径の仕事が増えてきた事に対応するため、立形CNC旋盤をカネミツに新規で設備致しました。
オークマ㈱製 V100R
40インチチャック仕様で、φ1,000までの旋削加工が可能です。

これにより、従来のVプーリー、カップリングはもちろんの事、イノテックグループ全体での幅広い受注対応がより効率的にこなせるようになりました。
品質の向上はもちろん、納期対応もよりスムーズになります。
更にしっかりとしたものづくり企業を目指して、突き進んでまいります。

2009年10月2日金曜日

セミナーの発表会 優勝!

以前にも紹介した事のあるリーダー研修の、前期発表会がありました。
個人の企画力・表現力・バランス力など等を様々な角度から学んでいます。
その一貫として、前期にはチームごとに舞台を作りました。
従来ある台本をチームごとに創意工夫して、自分たちのオリジナルを作るのです。
脚本作りから、キャラクターの設定、選曲、衣装、などなどほとんどを手掛けます。
チームには様々な個性を持ったメンバーがおり、これらを上手く融合させつつ、より良い舞台を作り上げていきます。そして、当然舞台をする以上は見て頂くお客様に笑って、喜んで頂けるものを完成させなければいけません。
場所は本格的にも大阪・帝人ホールです。
小生の役割としては、本来こういったことが大好きな性分である為、舞台監督、演出、演技指導、振り付け、そして主演まで手掛けさせて頂きました。
当然、助監督はじめメンバー全員でも意見を出し合い形にしていきました。
メンバー全員の良さを表現してもらう事が大事で、持っているものを最大限に出して貰える様に心掛けました。もちろん素人集団です。プロのようには当然いきませんが、精一杯自分たちで努力して、準備して、表現して、喜んでもらう。
この事が一番の目標でした。
結果、見事我が大阪校チームの優勝(^O^)!!
チームのメンバーも、様々な職業、立場で活躍されている素晴らしい人材が集まっており、彼らと共に作り上げることが出来て幸せでした。
いくつになっても、どんな立場になっても、自分がやりたい事が現実(カタチ)に出来る事を実感しました。
達成感と充実感をメンバー全員で共有出来た、最高の一日になりました。

2009年10月1日木曜日

最終日の宴会にて












さて、最終日にはちょうど工場の記念式典の日と重なりました。
第一汽車を含む主力ユーザー4社から、品質管理規定A級の認定を受け、パーティーが開催されました。
お誘い頂き、気軽に顔を出させて頂いたら、300人近くの方々が参加されていて、そして最前列真ん中の宋総経理の隣に座るようにとの事。つまり主賓での扱いとの事。
早速主賓の挨拶を!との事でつたない中国語で簡単に挨拶をさせて頂く。
やはり、少しでも母国語で挨拶させて頂くと盛り上がります。
そして、そこからがもちろん“お酒”“お酒”“お酒”の連続。
52度のお酒が今までのお猪口ではなく、ビールグラスで襲ってくる・・・。
会場の雰囲気と、主賓であり皆さんからの乾杯のお誘いを断りにくい状況もあり、最終日に今までで一番“お酒”を飲ませて頂きました。
工場長や生産管理・品質管理・経理の方々など多くの方々との乾杯で交流を深めさせて頂きました。
途中日本の歌を歌って欲しいとのリクエストもあり、歌う・・・。そして乾杯・・・。
何が何だか(*_*)・・・で盛り上がる中終宴しました。
宋総経理をはじめ、よく皆さん連日この“お酒”で体を壊されないなと改めて感心していましたら、なんと、この後夜の部でまた夜勤明けの社員たちとの同じ会を開催するとの事。
すさまじいパワーを改めて感じました。とにかく逞しく、強いのです。
小生は帰国の為、お世話になった宋総経理をはじめ、工場の皆さんと抱き合い、手を握り合いながら最後の挨拶とお礼をしました。
宋総経理は本当に息子のようにかわいがってくれ、小生も彼の事を爸爸(父親)と呼ばせていただき、彼の息子さんや娘さんとも兄弟として紹介され、民族衣装などをプレゼントされました。まるでウルルンのような別れ方で空港に向かいました。
次回は日本に是非来て頂けるようにお願いし、再会を誓いました。
新規の取引・工場見学から始まった今回の訪中でしたが、本当にたくさんの方々との出会いと、感動と、そしてまた考えさせられることの数々。
本当に貴重な経験をさせて頂いた事を感謝しつつ帰国の途に着きました。

※ブログの更新に時間がかかり、一体いつまで中国にいるのか?^ロ^;という声も頂きつつ、今回でやっと北京・内モンゴル編の最終回です。
最後までお付き合い頂き有難うございました。