2009年9月29日火曜日

牛飼いの青年と北京と天津の青年(後編)

往復の飛行機で出会った学生さん。
行きの飛行機では、北京生まれの20代の男子学生さんと出会った。
京都の大学に留学中で、久々に故郷である北京に帰省されるとの事。 彼の家系は代々政府の仕事をされているらしく、彼自身も将来は外交の仕事がしてみたいとの話しだった。
非常にまじめで、誠実そうな彼と色々な話をさせてもらいながらメルアドの交換をし、日本での再会を誓った。
また、帰りの飛行機では天津の20代の女子大生さんで、日本の友人を訪ねて旅行との事。
次には日本への留学も考えられているとの事。毎月の費用が10万円位でいい所は無いでしょうか?との話。好奇心旺盛で、目が輝いていた。
上記の事は、日本ではよく聞く話のようだが、中国では裕福な生活をされている方々でないと難しい。 (前編)で牛飼いの青年についてふれたが、パオで食事を出してくれた少女は、小学校を卒業してから住み込みで働いているとの事。家族は近くの村に住んでいるらしい。これもまた現実。
同じ国に生まれても、土地、環境でこの様な差が出来る事を改めて肌で感じた。
確実に大きな格差が存在する。

2009年9月26日土曜日

牛飼いの青年と北京と天津の青年(前編)










 
大草原をひたすらに歩いていると、牛の大群が草を食べていた。
その中から鞭を振りながら大声を出している青年がいる。
あちらから近づいて来て、タバコはありますか?との事。
小生は吸わないので持っておらず、日本から持ってきたガムをあげると喜んで食べていた。
聞けば年齢は20歳。10歳からこの仕事をしているとの事。
我々が別れを告げて去ろうとすると、後ろから「私と話をしてくださ~い」と叫んでいる。
毎日毎日一人ぼっちで、ただひたすらにこれら約500頭の牛の世話をしているらしい。
家はここから10km離れており、話し相手もおらず、孤独に見え、可哀想になった。
収入は年間で1万元(日本円で約15万円)との事。
この収入で家族を養っているのだろう。
それからまた彼は鞭を振りながら牛の群れを追い続けて行った。

2009年9月24日木曜日

大草原にて















 
 



とにかくこの度は工場の方々には大変お世話になった。
歓迎の意味で内モンゴルの大草原を案内して頂く。
実は、子供の頃からモンゴルの大草原に憧れていた。
360度見渡す限りの大草原と、日本では決して見る事が出来ない、他に街の光りに邪魔されない、100%満点の星空。この夢が叶うのである。
市内から車を一時間半程走らせて、パオのあるその地に着く。
パオでは羊の丸煮込みなど(豪快すぎてちょっと驚きました^ロ^;)、モンゴル料理を色々と振舞って頂いた。
モンゴル族の伝統民謡や踊りも披露して頂き、雰囲気を肌で感じる。
食後に鄭総経理と二人で草原を歩きながら、今までの事、そしてこれからの事について色々と語り合えた。
大草原の中で、小さな点にしか過ぎない自分を感じて、小さな事にばかりこだわっていたのではダメで、大局を考えていかねばと改めて決意した。

2009年9月16日水曜日

アルミダイカスト工場にて


ウランホトの町は小さい。
その中で一際目立つのは、この町唯一の製鉄所である。やはりこちらには資源が多いらしい。
そして次に大きな企業といえるのが、今回訪問させて頂いた工場である。
社員数はグループ会社も含め1,500人で、ここの社長である宋総経理は地元の名社長であった。レストランに行けば、彼の写真があちらこちらに飾られ、第一汽車の総統とのツーショットもあった。
そんな町の顔ともいえる方とは知らず、簡単にアポイントを取らせて頂き、また丁寧にも対応して頂き本当に有り難かった。
仕事の話としては、そもそも2月に杭州で偶然お会い出来て、彼らの持つ設備と技術について、どうしても必要と感じたからだ。
実際に現場を案内して頂いて、アルミダイカストにおける生産能力の高さを実感する事が出来た。
14台のダイカスト機械を持ち、250t~2000t、そして3400tの機械まである。
その上、来年には更に増産する為、何と4,000tの機械を新設されるとの事。
日本でもなかなかお目にかかれない機械である。彼らはそれで、自動車向け、とりわけトラック向けの部品を多く手掛け、中国の大手自動車メーカーに納めている。
年間何十万個生産するものがほとんどで、改めて中国の需要の大きさを感じた。
こちらとしても見積りして欲しい図面を持参し、当然生産ロットも比べ物にはらないが、快く相談に乗って頂いた。
今後実務面でも良い取引が出来ればと思います。

2009年9月15日火曜日

早速歓迎会へ


ウランホトに到着してから早速歓迎の食事会を開いて頂いた。
中国では毎回45度以上のお酒を頂くが、今回のお酒は52度。
匂いも独特のもので、お酒の弱い小生にとっては匂いだけで酔ってしまいそうである。
中国では、とにかくお酒をいかに飲めるかが仕事をする上で重要な事である。ましてや新規の取引きとなると、これが無くては始まらない・・・。まずは「お酒」が仕事なのである^ロ^;
それでも都市部では最近でこそ少しは緩和されつつあるようだが、地方に行けば行くほどそうはいかない。ましてや、ここは内モンゴル自治区。特にお酒に強いDNAが脈々と受け継がれているようだ。
日本から遥々来てくれた!と3杯乾杯(中国のそれは必ず一気に飲み干す事を示す)。
また、今度は「秋の恵みの雨を運んで来てくれた」!と3杯乾杯(くどいようだが、中国のそれは必ず一気に飲み干す事を示す)。
正直理由はどうでもよく、何かにつけて乾杯をするのである。これが楽しくて仕方がない様子。
テーブルを囲む方々が皆この調子なのでどうにもならない・・・(>_<)
で、あとはホテルで就寝か、と思いきや二次会(もちろん飲み会へ)・・・深夜に及ぶのである(T_T)/~

2009年9月11日金曜日

ウランホトヘ

海南航空HU7507便にて内モンゴル自治区・ウランホトへ
ウランホト市は、中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン盟に位置する県級市の1つ。
市街面積は23km2、都市人口は約25万人との事。
ウランホトとはモンゴル語で「赤い街」を表すとの事。満州国時代は王爺廟(ワンイエミョウ)と呼ばれ、多くの日本人が住んでいたそうですが、現在は一地方都市に過ぎず、観光へ訪れる外国人は極めて少ないそうです。
さて、飛行機はあいにくの雨の中、空港に到着。空港内まで雨から身をかばうようにして走って駆け込む。
目指す入り口を見て、地方のボーリング場よりも更に一回り小さいような空港に驚かされる。
やはり、随分田舎の街に来たようだ・・・。
空港で待ってくれていた運転手さんに連れられて、市街地へ向かう。空港の周りには何もなく、暗闇が続く。
時折、空一面に稲妻が走り、その景色を浮かび上がらせる。
建物がなく、空が広い分、その稲妻でさえも世界を覆うような大きなものに見える。
自然の力を凄く近くに感じる瞬間だった。

2009年9月9日水曜日

天安門にて


せっかくなので、ウランホト行きの出発時刻までの時間を利用して、北京見学させてもらいました。
700年に及ぶ元、明、清3王朝の都を引き継いだ中華人民共和国の首都・北京。北京市は12区6県からなり、広さは日本の四国に匹敵します。
天安門にて感じた事。
1949年10月1日に毛沢東率いる「人民解放軍」が、中華人民共和国の建国を宣言してから、今年で60年の記念にあたるとの事。
テレビではよく見る天安門広場に足を運んで見ました。
天安門から正陽門(前門)まで南北880m、人民大会堂から歴史博物館まで東西500m、総面積44万m2という世界最大の広場。
次から次へとあふれるように人々が集まって来ていました。天安門広場の南端に位置する「毛主席紀念堂」には、1976年9月に逝去された毛沢東主席が国旗の五星紅旗に包まれて眠っています。
献花台に花を供えさせて頂いたが、参拝は立ち止まる事も、声を出す事も一切許されず、厳粛な雰囲気のなか静かに出口に向かいました。
中国建国の父であり、20世紀を代表すり革命家、思想家である毛沢東主席。
亡くなって33年経つ今も国内外からの参拝、見学者が後を絶たない。本当にず~~~と参拝者が列をなしていました。これが毎日続き続けられている・・・。日本では色々な意味で、このような光景は見られないなと思いました。

2009年9月8日火曜日

まずは北京入り
















今回の訪中スケジュールは、いつもと違ってまず関西国際空港から北京へ。
ここで、日新精工・鄭総経理と取引先の総経理と合流して打ち合わせ。
乗り継ぎの都合上、1日北京泊まりで、翌日内モンゴル自治区へと飛び立ちます。
北京には初めて来ました。さすが、中国の首都!スケールの大きな都市です。
宿泊するホテルは、王府井(ワンフージン)のすぐ近く、ここは北京の銀座通りと言われる場所。
大型デパート、ホテル、老舗のお店などが立ち並んでいます。
ちらっとのぞいて見ましたが、物価の高いこと!!日本の価格と然程変わらない位である。
北京の夜の風景を眺めてみました。
☆写真について・・・王府井の屋台街にて 中国らしく鮮やかな果物の飴菓子と、さそりやら昆虫のから揚げ(小生はさそりを頂きました、ぱりっとしてて美味しかったですよ!)